きょうのあさ
9歳になった息子がピザトーストを食べながら言う。
「せんご70年ってなに?」
「70年前に戦争が終わったんだ」
「ふーん」
「日本がアメリカや中国と戦争してまけたんだ」
「おれ戦争いやだ」
「ひいばあちゃんは戦争があったけど、いきのびた。もしひいばあちゃんが死んでいたら、ばあちゃんもうまれなかったし、とうちゃんもうまれなかった。そしたらおまえもうまれなかったよ。よかったねえ」
「うん」
そういうと、息子は食べかけのピザトーストを皿に置き、いつも通り朝ご飯の途中にいくうんこにいった。
きょうのあさ
「はやくいこ!」
いつもグズグズする娘が、てきぱきしている。
保育園についたら、園庭の8畳間ほどのプールにどぼどぼと水が注がれていた。
プール開きだ。
みんな入る前に行かされるのだろう。トイレがごった返している。
出てきた女の子が言ってくる。
「きょうじぶんで髪結んだんだよ!」
「そうか」
「団子結びもできるんだよ!」
「すごいね」
次に出てきた男の子も言ってくる。
「おれも◎△×つくれるよ!」
「え?」
「おれも◎△×つくれるんだよ!」
「すごいねえ」
部屋に4台ある机に、色とりどりのプールバックが置いてある。子どもたちが取り囲み、着替える指示を待っている。
息子の代からかぞえて9年目。
妻は「プール初日がちゃんと晴れたのはたぶん初めてだ」と話していた。
きょうのあさ
ハムとチーズを載せて焼いたパンを食べながら4歳の娘が言う。
「神さまもごはん食べるかなあ」
「え、食べるんじゃない」
「おもちだと思うなあ」
「おもち・・」
「のみものはなんだろうねえ」
「え、ぎゅ、牛乳じゃない?」
「牛乳じゃないよお」
「そうか、なんだろう・・」
「熱いお茶だと思うなあ」
おもちをほおばり熱いお茶をすする神さまを想像する。
議論のルール
フィンランドの小学生が考える議論の基礎と、日本の大人がやっている議論の実態を比較したものです。私たちは目を覚まさなければいけません。 pic.twitter.com/WG06VWT7tM
— 大野純一 (@ohnojunichi) 2015, 6月 13
きょうのあさ
登校する8歳の息子といっしょにマンションの階段を降りる。3日ぶりにすっきり晴れた。青空だ。
マンションには掃除のおばさんがいる。毎朝、ていねいに廊下をはいたり、ごみをまとめて出したりしてくれている。すれちがう朝も、すれちがわない朝もある。すれちがったら、おはようございますとあいさつをかわす。あいさつのできない息子はいつも隣でだまっている。
以前は、おまえもあいさつしろ、なぜできないんだと怒っていた。でも、かわらなかった。だから、ここ2カ月ぐらいは怒らずに、おばさんに会ったら、あいさつしようぜと誘うようにしていた。息子はニヤニヤし、えーできないと言うだけだった。
きょうも、やつのパーカーのフードを意味もなくやつの頭にかぶせながら、おばさんに会ったらあいさつしようぜと誘った。フードをかぶせられるがまま、やつはいつものようにニヤニヤした。
きょうはすれちがわないかなと思ったら、おばさんはマンションのまえの歩道を掃いていた。わたしは郵便受けの新聞をとりにきただけだったので、入り口のところで息子を送り出す。よし、おはようございますだ!と小声であおりながら。
向こう側をむいて道を掃いているおばさんの横を、息子がのろのろと歩いて通りすぎようとする。わたしは柱の陰でながめる。きょうもだめだろうなあと考える。
のろのろ歩きの息子が方向を変えた。おばさんの横で立ち止まった。そしてすぐにだーっと全速力で走って逃げていった。フードをかぶったままだったので、カオはみえなかったし、なにか言ったのか、なにも言ってないのかもわからなかった。
おばさんは驚いたように身を起こした。やつはもう走り去っている。やつの後ろ姿をみながら、おばさんは笑っていた。