1920年と2010年の日本

国が5年ごとにおこなう「国勢調査」という調査がある。1回目は大正9(1920)年、もっとも最近は平成22(2010)年だ。総務省統計局の資料をもとに、両方の数字をくらべてみる。

 

人口 1920年=55,963,053人

   2010年=128,057,352人

世帯数 1920年=11,122,120世帯

    2010年=50,840,007世帯

 

2010年の人口は1920年の2.3倍に増えた。いっぽう、世帯数は4.6倍に増えた。これは、少子化核家族化で1世帯あたりの家族の数が減ったことや、晩婚化や高齢化でひとり暮らしの世帯が増えたことなどで説明できるだろう。じっさい、1世帯あたり人員は、1920年が4.89人、2010年が2.45人。合計特殊出生率は、1925年が5.11人、2010年が1.39人ということである。

 

けっこう驚くのは、平均寿命である。

 

平均寿命 1921~25年=男42.06歳、女43.20歳

     2010年=男79.55歳、女86.30歳

 

平均寿命は、2倍以上延びている。ほんの100年前なら、じぶんはもう寿命で死んでいてもおかしくなかった。こんな短期間で急激に寿命を延ばした生き物は、46億年の地球史上、いなかったのではないだろうか。ちなみに医師数は、1920年の45,488人から、2010年は295,049人と、6.5倍に増えている。

 

とうぜんながら、年齢別の人口割合も大きく異なっている。

 

人口割合 1920年=15歳未満36.5%、15~64歳58.3%、65歳以上5.3%

     2010年=15歳未満13.2%、15~64歳63.8%、65歳以上23.0%

 

大正9年は、20人に7人が子ども、20人に1人が(今でいう)高齢者という社会だった。いまは20人に3人が子ども、20人に5人が高齢者である。

 

産業別の就業者数をみてみる。

 

産業別就業者数 1920年=1次産業14,672,164人(54.9%)、2次産業5,597,905人(20.9%)、3次産業6,463,586人(24.2%)

        2010年=1次産業2,381,415人(4.2%)、2次産業14,123,282人(25.2%)、3次産業39,646,316人(70.6%)

 

1次産業とは、農業、林業および漁業、2次産業は鉱業、採石業、砂利採取業、建設業および製造業、3次産業はそれ以外、ということである。

 

1920年当時、1次産業で働く人は、実数で2010年の6倍もいた。ちなみに農家の数は、1920年が5,484,563戸。これに対し、2010年は1,631,206戸で、3分の1以下に減っている。稲の収穫量は、1920年が948万トンで、2010年が848万トン。1920年のほうが多かった。人口は2.3倍に増えているのだから、食卓におけるお米の存在感はかなり薄れたことになる。

 

稲の収穫量を人口で割ってみると、1920年は169キロ、2010年は66キロ。大正時代の人は計算上、いまの2.6倍のお米を食べていたことになる。

 

2次産業の指標である製造品出荷額は、1920年が60億円、2010年は289兆1077億円ということである。単純計算では、4万8千倍になるが、おカネの価値がちがうのでくらべられない。いっぽう、就業者数の人口割合は、1920年も2010年も20%台でそう変わらない。2010年の3次産業の割合は71%だ。人口割合でみるかぎり、製造業の国であるとはいいづらくなってきているようにみえる。

 

6歳の身長 1920年=男107.0センチ、女105.8センチ

      2010年=男116.7センチ、女115.8センチ

6歳の体重 1920年=男17.6キロ、女17.0キロ

      2010年=男21.4キロ、女21.0キロ

 

お米の消費は減ったけれど、パンもある。麺もある。食べ物の種類は増えている。こどもの栄養状態はずっとよくなったのだろう。身長は10センチ伸び、体重も4キロ増えた。

ことばの重み

きのう18日、安倍総理衆院を解散して選挙をすると発表。同じ日、俳優の高倉健さんの訃報も流れた。その後、テレビ、とくにワイドショーは、選挙よりも高倉さんの訃報のほうを丁寧にあつかっているように見える。

 

「15年間、苦しんできたデフレから脱却するそのチャンスをみなさんようやくつかんだんです。このチャンスを手放すわけにはいかない。暗い混迷した時代に再び戻るわけにはいきません」と演説した安倍総理。選挙には500億円超の費用がかかる。

「じぶんの役はほとんど前科者だった。それなのにこんな勲章をもらえました。日本人にうまれて本当によかったと思っています」と(いうようなことを)文化勲章をもらったときに語ったという高倉健さん。

 

総理より高倉さんの言葉に重みを感じてしまうのはなぜか。考える価値がある。

 

 

 

きょうのあさ

きょうのあさの通勤電車。7~8割程度の混み具合だった。だっこひもで赤ちゃんを抱えたおかあさんが、荷物を載せたベビーカーといっしょに乗ってきた。1歳ぐらいだろうか。赤ちゃんはちいさな両手でパンをもち、いっしょうけんめい食べている。

 

出入り口にちかい席に、小柄なダークスーツのおじさんが座っていた。みじかく刈った頭に白髪が交じっている。耳にイヤホンをつけ、タブレット端末を気むずかしそうにいじっていた。きょうの会議の準備でもしているのかもしれない。

 

おじさんは、おかあさんに気づくと、ばっと立ち上がり、席を勧めた。気むずかしそうな表情をたもったまま、おかあさんとは目を合わさない。

 

おかあさんは「ありがとうございます。でも、いいんです」とやわらかい表情でことわった。それなりに混んだ電車の出入り口ちかくにベビーカーを置いていることも気になっていたのか、ほんとうに座らなくても大丈夫だと思っているようだ。

 

でも、おじさんは気づかない。目を合わせていないし、耳にイヤホンをつけているから。書類かばんを肩にかけ、少し離れた場所に立ち、タブレットをいじっている。電車が動きはじめた。おかあさんもおじさんに伝えることをあきらめたようだ。やわらかい表情で立ったまま、片手で赤ちゃんの背中を支え、もう片手でベビーカーが動かないように支えている。

 

おじさんは、いちどちらりとおかあさんのほうをみた。えっ座らないのという表情になったようにもみえた。でも、また気むずかしそうにタブレットをいじりはじめる。いま集中するべきことはこのタブレットなのだとじぶんに言い聞かせるように。

 

赤ちゃんはいっしょうけんめいパンを食べている。席は空いたままだ。

わたしはつぎの駅でおりた。おじさんをかっこいいと思った。

円安とインフレが進むと

今年4月に消費税が5%から8%に上がった。消費税込みで105円だったものが108円になった。いま、さらに来年10月に10%になるか、108円が110円になるかに注目があつまっている。安倍総理がもうすぐ、いまの景気の状況をふまえ、予定通りに消費税をあげるか、あるいはもう少し様子をみるかの判断をするらしい。

 

2012年12月の総選挙のとき、いまの安倍総理は「日本経済は円高、デフレだから苦しんでいる。円安、インフレになれば日本経済は復活する」という主張をした。当時、円相場は1ドル=80円前後だった。いまは1ドル=114円台だ。日経平均株価は、当時9千円台だったが、いまは1万7千円前後だ。インフレのほうはどうか。

日本のインフレ率の推移 - 世界経済のネタ帳

2012年の年平均はマイナス(物価が前の年より下がる)だったのに、今年は、10月時点の推計で2%台ということである。これらの数字をみると、安倍総理の「アベノミクス」は今のところ、うまくいっているようにみえる。日本経済は、しっかりと「復活への道筋」を歩んでいるのだろうか。

 

 日本経済が「復活」してくれるにこしたことはない。でも、復活ってどういう状況なのかというと、いろいろと議論があるようである。ここでは、とりあえず、「アベノミクス」に批判的な立場のほうからみて、いまの状況を考えてみることにする。

円安恐慌 (日経プレミアシリーズ)

円安恐慌 (日経プレミアシリーズ)

 

 

この本は「円安、インフレになれば日本経済は復活する」という主張に異議をとなえている。

 

筆者によると、2012年当時の円高は、米国の中央銀行にあたるFRBが2008年のリーマン・ショックのあとからおこなってきた歴史的な金融緩和で、米国金利が下がり、日本の金利との差がなくなっていたためであった。市場のおカネは、できるだけ金利の高い通貨を求めて動く。したがって、米国が自国の景気が戻りかけていると判断して金融の引き締めを始めれば、日本の金利を置いてけぼりにして米国金利が上がり始める。円相場はほっといても円安に振れていくという。実際、FRBは米景気は上向いていると考え始めており、来年(2015年)にも金融の引き締めに入るといわれている。

 

円安は、自動車などの日本の輸出産業をうるおす。一時的には。だが、逆に日本が輸入に頼っているエネルギーの価格が上がる結果、ガソリンや電気代などが上昇する。

 

企業がうるおったとしても、すぐに給料を上げてくれるわけではない。だから、家計は苦しくなる。需要が伸びているわけではないのに、原材料代や燃料代の上昇でモノの値段が上がることをコストプッシュ・インフレという。いっぽう、収入がふえて欲しい人がたくさん出る需要の伸びでモノの値段があがることを、ディマンドプル・インフレという。インフレには2種類あるから、注意が必要だ。いまの2%台のインフレは、生活の実感としては、コストプッシュ・インフレのほうだろう。給料が上がっていないのにモノの値段があがれば、家計は節約するしかない。

 

 ところで、いま日本の国の財政は、まいとしの支出の半分を借金(国債)に頼る異常な状態にある。それでも財政が回っているのは、国債の9割超が国内で買われており、外国人は1割弱に過ぎないからだ。要するに、日本人は、日本の景気が悪くなったからと言ってすぐに国債を売ったりはしないが、外国人はすぐに売ってしまう恐れがあるということである。だが近い将来、国債が国内でほとんど売れるという強力な後ろ盾になっている日本人(個人)の金融資産1500兆円弱が、減りはじめる。たくさん貯蓄をもっている高齢者が、生活を回すために資産を切り崩し始めるからだ。それがなくても、いまのペースで借金を増やしていくと、国債発行額が金融資産を上回るときがくる。国内だけでは買う人が足りなくなってくる。国内で消化されるという国債価格の支えがなくなれば、外国人も警戒してかんたんには買わなくなる。すると国債の価格は下がり、日本の金利が上昇し始める。すると政府国債を返すために毎年発行している国債(借金をかえすための借金)の金利も上がっていってしまう。

 

そうなると日本の財政がますます苦しくなる。それを前もって防ごうというのが消費増税だ。しかし、消費者は所得が増えない限り買う量を減らすだけだから、政府の思惑通りに税収が増えるかは怪しいところがある。

 

で、筆者がかんがえる日本の行き着く先とはなにか。円安、株安、国債安の「トリプル安」で、日本の銀行や保険会社などの金融機関が大量の含み損を抱え、日本経済が回らなくなるかもしれない。すると、1990年代の韓国のように、国際機関のIMFに救済を申請せざるをえなくなる。すると「収入内で支出を抑える」のがIMFに救済してもらうときの原則だから、日本は歳出を半分にしないといけない。当然いま歳出の3割を占める社会保障費も減らさざるをえなくなる。けっきょく、消費増税社会保障を安定させるとは限らないということである。

 

そうならないためにはどうすればいいか。筆者が唱えるのは、地方への移民受け入れや、子育て支援による女性の就労機会の強化、外国人観光客を増やす、日本人の英語力を鍛えるなど、いままでも言われてきたオーソドックスなことだ。だが、そのオーソドックスなことが結局ほとんど進んでいないという。

 

筆者のいうオーソドックスなこととは、アベノミクスで「第3の矢」というところの「民間投資を喚起する成長戦略」にあたる部分だろう。これらはおそらく、日銀におカネを出させたり(第1の矢)景気対策公共投資をしたり(第2の矢)することよりもずっとたいへんで、時間のかかることである。

 

アベノミクスの目標は、こんご10年間の国内総生産の平均成長率を3%にすることだ。1995年度から2012年度までの実質国内総生産の成長率をみると、前年度比で3%を超えたのは、リーマンショック後に景気が落ち込んだあとの反動増とみられる2010年度の3.4%、いちどだけである。

http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h24/sankou/pdf/point20131225.pdf

日本の人口はもう減り始めている。この目標の立て方そのものがただしいのかどうかも、考える必要があるかもしれない。

あいさつ

息子がきちんとあいさつできない。おはようも、こんにちはも、ちゃんと言えない。あいさつをしろと怒ると「いやだ」と口ごたえする。それでこっちもカーッときて、あいさつをできなかったことに対してというより、すなおに親の言うことを聞かないその態度に対して怒り始めたりし、ややこしくなる。

 

でも、なんであいさつしないといけないのか。そう聞かれると、すこし困る気がする。じぶんを振り返っても、息子をしかるほど普段からきちんとあいさつができているか心もとない。「社会生活の基本」なんていっても、息子はもちろんわからない。この前「相手もこっちも、うれしくなるからだ」みたいな説明をしたら、息子は呆けたままピンとこない様子だった。親もピンと来てないんだから、そうなるだろう。

 

霊長類学者、河合雅雄氏の「子どもと自然」によると、チンパンジーは、さまざまなあいさつの方法をもつ。おじぎ、握手、抱擁、ひれ伏す、肩をたたく、軽く相手にさわる、キスをする、など。チンパンジーは、複数のオスと複数のメスで、20から100頭の群れをつくる。ニホンザルも、同じような群れをつくるけど、とても閉鎖的で、青年以上の個体が群れを離れて4、5日もたつと、よそ者とみなされ、群れに戻るのがとても難しくなる。これに対し、チンパンジーの群れは、おおらかである。若いオスとメスがいっしょに旅行に出かけて1カ月後に戻ってくることもある。そういうとき、ふたりは、群れのみんなにあいさつをする。そうすると、スムーズに群れに戻れるそうだ。

 

 チンパンジーのこうした行動から、河合氏は、あいさつというのは「時間的空間的に離れていたための疎遠感を消し去り、もとの社会関係を回復させる」ものと考えた。群れをつくるチンパンジーが、群れにそれほどしばられずに自由に動くこともできるのは、あいさつがかれらの社会で機能しているおかげである、というわけだ。

 

そこから、河合氏は人間にとってのあいさつの意味も考える。寝る前に「おやすみ」と言い、起きた時に「おはよう」と言うのは、眠りによって、認知的な空間が途切れるからではないか。人間関係は、家族のように深い間柄でも、一晩の時間の区切りがあれば薄まってしまうものなのかもしれない。そして、あいさつとは「薄められた個体関係の間に、相互の心のかよいあうチャンネルを作る行為」だという。

 

「心のかよいあうチャンネルのためだ」といっても、息子には伝わらない。「チンパンジーだってあいさつをする」といったら、「おれはチンパンジーじゃねえ」と怒り出すかもしれない。どうやってあいさつをしつけるかは、また考えなければならない。でも、河合氏のチンパンジーからくるあいさつ論はいま、じぶんのなかで腑に落ちている。それがあるかないかで、とりくみ方がちがってくるように思う。

学校の先生

うちの息子の小学校の担任の先生の元気がない、ということが親のあいだで話題になった。教師になって間もない若い女性だ。理想と現実のギャップに苦しんでいるのかもしれない。こういうとき、元気を出してびしびしやってください!などと親たちが詰め寄ると、ますます元気がなくなる恐れがある。気をつけなければいけない。

 

どうしたら先生に元気よくなってもらえるかを考えるとき、河野太郎氏のこの視点はとてもよいと思う。


先生はなぜ忙しい|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり

学校や教育委員会に先生が提出しなければならない書類が多すぎるのではないか、ということである。ぜひ、少なくして成果をあげて欲しい。

 

ところで、河野氏が採り上げた書類の中に「いじめ・不登校に関する児童生徒の状況報告書」というものがある。教育委員会に提出するそうだ。すこし前、ある小学校の正面玄関のうえに「いじめゼロ目標」みたいな内容の垂れ幕が掲げられているのを見た。でも、いじめってどう把握されるのだろう。文部科学省による定義をみてみる。

いじめの定義:文部科学省

文部科学省によると、2006年に決められた定義は「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」。いじめかどうかの判断は「表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って」おこなわれ、「起こった場所は学校の内外を問わない」という。やっぱり、つかむのはかんたんではなさそうだ。だれも気がつけるような表立った案件ばかりではないだろうから。気づかなかったり無視したりすれば「ゼロ」になるけど、なにかの拍子に表立ったらきつく責められる。「状況報告書」がどんなものか実際に見たことはないけど、書き込む先生の苦労がしのばれる。 

 

赤坂真理氏が「愛と暴力の戦後とその後」のなかで、いじめを定義している。いじめとは「他者を害することで己の存在と優位を確認しようとする行為」「他者を害することで自分が快感を得る行為」ということである。優れていると思うのは、前提としていじめが成立するのはいじめられた側がいじめられたと感じるときだとことわったうえで、そのような意味でのいじめを児童生徒がしているとして、「それを見た教師その他の大人が見て見ぬふりをするとしたら、それはその人の人間性が問われるべきである。管理能力ではなく」と指摘していることである。つまり、いじめ対策として「管理者の失態」を責めても解決策にはならないというのが、赤坂氏の主張だ。

 

そもそも、先生がいじめの存在に気づき、しっかりと教育委員会に報告したとして、教育委員会がなにをしてくれるのだろうか。先生にとって、さらには子どもたちにとっても、ことが大きくなる弊害のほうが大きいような気がする。それぞれの学校で、それぞれの親をまきこみ、それぞれの人間性で勝負されるべきだと思う。

 

だから、いじめでたいへんなことがおきても、「なぜ把握できなかったのか」と教育委員会を責めるのはよくない。その子のまわりの大人たちの人間性は足りていたのか、足りていなかったとしたらどうすれば足りるようにできたのか、を考えるのが、なにかの一般論を導くための正しい向き合い方だ、と思うことにしたい。

 

 

 

行ったり来たり

遅いのだろうけれども、40歳を過ぎてから、じぶんの考えが欲しいと思うようになった。

 

理由というか、きっかけはふたつあると思っている。

 

ひとつは、子どもが大きくなったことだ。息子が8歳、娘が4歳になった。よくしゃべるようになった。よく食べるようになった。よく暴れるようになった。かれらと付き合っていると、直接そうは言われないけど、で、おまえの考えはどうなんだ、と突きつけられているように感じることが多い。かれらはいまのところ社会的に無力だ。かれらや、かれらの子孫や、そのともだちたちが、できるだけ過ごしやすい世の中を残せるよう、オヤジはできるだけがんばらなければならない。

 

もうひとつは、2011年3月11日の東日本大震災だ。あの日、東京都内のビルで揺れを経験した。大きな津波が、仙台平野をのみこむ様をNHKの中継でみた。もちろんその衝撃度は、直接被害を受けた人たちにとても及ばない。その苦しみはいまも続いている。でも、自身を振り返ると、あのとき、これからはじぶんが変わらなければいけないという感覚を植えつけられた。いままでは無視できたことも、これからは無視できないという覚悟を求められた。そんなに時間があるわけではないかもしれないという焦燥感がやってきた。この思いは、オヤジががんばらねばならないというひとつめの理由を支える基礎のような働きをしている。

 

でも、日常を考えると、そんなことをまわりの人と話しあうことはあまりない。使命感に駆られ、なにか動いていることがあるわけでもない。いろいろと世の中には問題があるけれど、それらに対するじぶんの考えが、しっかりしてきたといえる自信はない。

 

じぶんの考えを自信をもって話せる人がうらやましい。でも、考えがしっかりしていなければ話してはいけないのだろうか。しっかりした(とみんなが考えていた)人が間違えたとき、考えを変えたとき、まわりからすごい勢いで責められる光景をよくみる。そういう光景を目の当たりにすると、言葉で語るのがますますこわくなる。

 

それでも、大切なことは考えつづけることだと思う。だれかに何かを突きつけられたとき、あわてずにすむよう、そっと取り出せる言葉の蓄積に努めることだと思う。じぶんの言葉は、人から聞いたものでも、本で読んだものでもいい。あちこちで影響を受けながら、行ったり来たりしながら、消化をこころみ、ためていきたい。