あいさつ

息子がきちんとあいさつできない。おはようも、こんにちはも、ちゃんと言えない。あいさつをしろと怒ると「いやだ」と口ごたえする。それでこっちもカーッときて、あいさつをできなかったことに対してというより、すなおに親の言うことを聞かないその態度に対して怒り始めたりし、ややこしくなる。

 

でも、なんであいさつしないといけないのか。そう聞かれると、すこし困る気がする。じぶんを振り返っても、息子をしかるほど普段からきちんとあいさつができているか心もとない。「社会生活の基本」なんていっても、息子はもちろんわからない。この前「相手もこっちも、うれしくなるからだ」みたいな説明をしたら、息子は呆けたままピンとこない様子だった。親もピンと来てないんだから、そうなるだろう。

 

霊長類学者、河合雅雄氏の「子どもと自然」によると、チンパンジーは、さまざまなあいさつの方法をもつ。おじぎ、握手、抱擁、ひれ伏す、肩をたたく、軽く相手にさわる、キスをする、など。チンパンジーは、複数のオスと複数のメスで、20から100頭の群れをつくる。ニホンザルも、同じような群れをつくるけど、とても閉鎖的で、青年以上の個体が群れを離れて4、5日もたつと、よそ者とみなされ、群れに戻るのがとても難しくなる。これに対し、チンパンジーの群れは、おおらかである。若いオスとメスがいっしょに旅行に出かけて1カ月後に戻ってくることもある。そういうとき、ふたりは、群れのみんなにあいさつをする。そうすると、スムーズに群れに戻れるそうだ。

 

 チンパンジーのこうした行動から、河合氏は、あいさつというのは「時間的空間的に離れていたための疎遠感を消し去り、もとの社会関係を回復させる」ものと考えた。群れをつくるチンパンジーが、群れにそれほどしばられずに自由に動くこともできるのは、あいさつがかれらの社会で機能しているおかげである、というわけだ。

 

そこから、河合氏は人間にとってのあいさつの意味も考える。寝る前に「おやすみ」と言い、起きた時に「おはよう」と言うのは、眠りによって、認知的な空間が途切れるからではないか。人間関係は、家族のように深い間柄でも、一晩の時間の区切りがあれば薄まってしまうものなのかもしれない。そして、あいさつとは「薄められた個体関係の間に、相互の心のかよいあうチャンネルを作る行為」だという。

 

「心のかよいあうチャンネルのためだ」といっても、息子には伝わらない。「チンパンジーだってあいさつをする」といったら、「おれはチンパンジーじゃねえ」と怒り出すかもしれない。どうやってあいさつをしつけるかは、また考えなければならない。でも、河合氏のチンパンジーからくるあいさつ論はいま、じぶんのなかで腑に落ちている。それがあるかないかで、とりくみ方がちがってくるように思う。